目目連
2006年08月26日 0:11
![mokumoku[1].jpg](http://problog.jp/blog/177-01/mokumoku%5B1%5D.jpg)
これがリングの元になった、鳥山石燕の描いた目目連です。
多田克己氏の絵解きから。
鳥山石燕は、荒れ果てた廃屋の古木材に浮き上がった年輪(柾目=まさめ、板目、木目)や、
障子の破れ目や壁の穴に、怪し気な目を連想したのであろうか。
家屋はさらに目を表す名称が多い。
例えば、板張りの形である羽目(はめ)。
「羽目をはずす」などに使われるあの言葉である。
木と木を繋ぎ合わせた、繋ぎ目。
材木の節のある部分の節目。
また戸や障子には、升目(ますめ)があり、物の隙間には、目貼りの紙が貼られる。
障子は家屋の間仕切り(まじきり)用建具の総称で、外気や物音、明かりなどを遮ったりするのに用いるが、古来「間仕切り」は「魔除切り(まじきり)」でもあり「障子」は「物の怪」の「障り(さわり)」を遮る、簡易な結界でもあった。
だが、「破れ障子」は逆に「物の怪」が「生じ(しょうじ)」る箇所なのか。
鳥山石燕の絵の「目目連」の、障子に現れた目は、「目に障る」の洒落なのである。
「壁に耳あり、障子に目あり」「目は口ほどに物を言う」
などのことわざのように、「物の怪」は家屋の主の秘事や悪事について目撃した事を、物語ろうと現れるのかもしれない。
「目目連」の「目」は、
「まなこ」「注視する」「もくする」「めくばせる」「要目(かなめ)」「題目」などの意味の他に
「たくらみ」「もくろみ」等の意味もあった。
「目語(もくご)」は口でいわずに、目で考えを相手に示す事だが、
「碁目(ごもく)」の「目」は、囲碁で基盤の目や碁石の数を数える助数詞である。
基盤の目は基盤の区切りの事。
基盤には堅く、打つ音の響きの良さから榧(かや=イチイ科の常緑高木)の木材を使用するが、
石燕は「目(もく)」と「木(もく)」の語呂から、榧(かや)と家屋の語呂を発想したようである。
囲碁は二人対局で、お互いの基盤の目に黒と白の碁石をかわるがわる置いて、地(じ=碁石で囲んだ領分)を争う遊戯である。
この時、石を繋げ置いて目を二つずつ作っていく。
反対に敵の目が生きられない(作られない)ように目を潰しあう。
「目目連」の目の正体は、家主の碁打ちが今まで数えきれぬ程つくってきた目の念が、家に籠っていたものなのだろう。
また、「目目連」の「連」は連なる事を示す。
碁石は直径約2.2センチほどの珠で、
玉(珠)を連ねる事を連珠(れんじゅ)という。
盤上ゲームの連珠(五目並べ)は、基盤の目の上に交互に黒と白の碁石を置いていき、縦、横、斜めのどれかを連続して五個先に並べた者が勝というルールだが、障子に出現した「目目連」の姿は、まさに連珠のようである。
五目はまた芥(ごもく=ゴミ、ゴミ捨て場)の語呂に通じて、
無残に荒廃した人家を連想させる。
そこに日々「黙々」と「目目連」は現れていくのだろう。
「目の寄る所へは玉も寄る」
とは、同類は自然に相集まるものである事の例え。
「碁打に時無し」
は、時の経つのも忘れて、勝負に夢中になる例えだが、家が廃屋になっても、碁打自身は死んで肉体がなくなった事も忘れて「目目連」となり、黙々と目を作り続けているのかもしれない。
同様の例えに
「碁に凝ると親の死に目に逢わぬ」
というのがある。
「目目連」と成り果てた碁打ちの二人は、親の死に目どころか、己の死さえも知らずにいつまでも夢中になっているようである。


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