創造してみよう
2006年02月23日 20:00
いよいよリニューアル案件が大詰めです。
寝てませーん。風邪ひいてまーす。目が血走ってまーす。
脳みそもささくれだってきました。
そんなこんな(どんな?)な最近。
先日紹介した原研哉氏の本「デザインのデザイン」
つながりで、また目から鱗な「本」に出会えることができました。
だから本を読むのって好きです。やめれませんね。
『陰翳礼賛(いんえいらいさん)』
谷崎潤一郎 著
ちょっと長いけど、
僕が「新鮮だなあ」と思った箇所をそのまんま読んでみてください。
「とにかく我らが西洋人に比べてどのくらい損をしているかとい云うことは考えてみても差支えあるまい。つまり一と口に云うと、西洋の方は順当な方向を辿って今日に到達したのであり、我等の方は、優秀な文明に逢着してそれを取り入れざるを得なかった代わりに、過去数千年来発展して来った進路とは違った方向へ歩み出すようになった。そこからいろいろな故障や不便が起こっていると思われる。尤もわれわれを放っておいたら、五百年も今日も物質的には大した進展をしていなかったかも知れない。
(中略)だが、それにしても自分たちに性にあった方向だけは取っていただろう。そして緩慢にではあるが、いくらかずつの進歩をつづけて、いつかは今日の電車や飛行機やラジオに代るもの、それは他人の借り物でない、ほんとうに自分たちに都合のいい文明の利器を発見する日が来なかったとは限るまい。
早い話が、映画を見ても、アメリカのものと、仏蘭西や独逸のものとは、陰翳や、色調の工合が違っている。演技とか脚色とかは別にして、写真面だけで、何処かに国民性の差異が出ている。同一の機械や薬品やフィルムを使ってもなおかつそうなのであるから、われわれに固有の写真術があったら、どんなにわれわれの皮膚や容貌や気候風土に適したものであったかと思う。
蓄音機やラジオにしても、もしわれわれが発明したなら、もっとわれわれの声や音楽の特長を生かすようなものが出来たであろう。元来われわれの音楽は、控え目のものであり、気分本位のものであるから、レコードにしたり、拡声器で大きくしたりしたのでは、大半の魅力が失われる。話術にしてもわれわれの方のは声が小さく、言葉数少なく、そして何よりも「間」が大切なのであるが、機械にかけたら「間」は完全に死んでしまう。
そこでわれわれは機械に迎合するように、却ってわれわれの藝術を歪めて行く。
西洋人の方は、もともと自分たちの間で発達させた機械であるから、彼らの藝術に都合がいいように出来ているのは当り前である。そう云う点で、われわれは実にいろいろ損をしていると考えられる」
昭和初期に執筆されたのだけど、いま僕たちが生きている時代に
まったくあてはまらないことではないでしょう?
誤解しないで欲しいだけど、
僕は、昔の方がきっと今は失われてしまった趣があって
心地よい生活ができたのだろうなというわけで、
わざわざこの本を取りあげたわけではないです。
僕たちの日々の生活のすぐ隣にモノ・コトの「美」に対して、
つまり、それが「デザイン」というものだと思うのだけど、
ちょっと愚痴っぽいけれど、とっても鋭いことを言ってるお爺さんが、
昭和の初めにいたのだなー。と目から鱗なのでした。
普段なにげなく自分のすぐそばにあるモノ・コトを、
異なる角度の視点からみつめ直してみること。
谷崎潤一郎はその「創造力」を文章でもって表現し外に示した。
僕たちデザインの現場の人間も、生活のそばにあるモノ・コトを、
同じような「創造力」を使ってデザインに向きあえれば、
んで、日々の生活に僕なりにとりいれていければ、
きっとハッピーが増えていくだろうなあと思う今日この頃でした。
今日も徹夜でデザイン三昧。
生きざま更新中!山口デコ






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