「暗闇の中でのジャンプ」 認識者から実践者へ
2007年03月21日 20:31
デコですこんにちは。
今日は祝日。このオフの日を使って、見城徹の「編集者という病」を読み終えました。
見城氏はこの本で、ヴェンダースの映画『ベルリン天使の詩』と沢木耕太郎の「深夜特急」を引用している序章から、柄谷行柄が言うところの「暗闇の中でのジャンプ」という普遍的なテーマを、最後のあとがきまで、時には言葉を変えては繰り返し、僕らに投げかけています。
序章では、『ベルリン天使の詩』で天使が地上の女性に恋をしたその時から、モノクロームの世界がカラーに変わるこの映画の象徴的な展開をあげ、それまで生きるという営みに参加せず、ベルリン2000年の歴史と人々の喜びと悲しみをただ見続けている天使は、認識者として描かれていること。認識者である限りは、永遠の生を保証されるが、決して感動したり、葛藤することがない。だからモノクロームで描かれていると見城氏はひもときます。
しかし、天使は地上の女に恋をしてしまう。傍観者であることをやめ、他者と関係することを望んでしまう。一回だけの有限の人生であっても、そこには絶望や苦悩が待ち受けていても、平穏無事な認識者であることを止めて、傷つき、血を流す実践者であることの道を選ぶ。つまり、生きようと欲っする。その瞬間から描かれるカラーの世界。
恋をきっかけにして、天使は、何が待ち受けているかわからない短い人生を生き始める。天使から人間に変わること。認識者から実践者になること。モノクロームの世界からカラーの世界に飛び込む衝動こそ「暗闇からのジャンプ」であると。
また沢木耕太郎のノンフィクション「深夜特急」は、香港から始まりロンドンに至る著者が歩んだ1年の道のりを「暗闇のなかでのジャンプ」の連続と読んでいます。
かつて天使でいなかった人間などどこにいるのだろう。生きることは暗闇のなかでのジャンプの連続だ。と繰り返し問う見城氏。
この本を読み終えた時、僕自身の暗闇のなかのジャンプが思い甦りました。
専門学校を卒業してから4年間、本当にやりたいことがあると駄々をこねても、腹をくくるわけでもなく、働き続けていた会社が一瞬で消えてなくなり、時間ばかりを持てあましていた時。何の能力も技術も持ち合わせず、社会と関係ができていない自分を、ごまかしきれずにと日々鬱屈と劣等を溜めこんでいた時。なに気なく入った書店で出会うことができた一冊の本との出会い。それまで活字に触れることすらできなかった僕を救ってくれたのは、四角紙片の紙に刷られていた活字でした。あの活字との出会いが、その時の僕が認識者から実践者への一歩を踏み出せた瞬間だったと今でも思います。
天使は“恋”をきっかけに「暗闇のなかからジャンプ」をしました。
あなたがまた、暗闇のなかからジャンプをするのはいつですか?
「編集者という病」
見城徹著 太田出版刊
今日も生きざま更新中!
山口デコ


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