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山口デコ
71年生まれ・おとこ。幼少のころより2人の姉に徹底的に女らしさを叩きこまれる。...

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「暗闇の中でのジャンプ」 認識者から実践者へ

2007年03月21日 20:31

デコですこんにちは。
今日は祝日。このオフの日を使って、見城徹の「編集者という病」を読み終えました。

見城氏はこの本で、ヴェンダースの映画『ベルリン天使の詩』と沢木耕太郎の「深夜特急」を引用している序章から、柄谷行柄が言うところの「暗闇の中でのジャンプ」という普遍的なテーマを、最後のあとがきまで、時には言葉を変えては繰り返し、僕らに投げかけています。

序章では、『ベルリン天使の詩』で天使が地上の女性に恋をしたその時から、モノクロームの世界がカラーに変わるこの映画の象徴的な展開をあげ、それまで生きるという営みに参加せず、ベルリン2000年の歴史と人々の喜びと悲しみをただ見続けている天使は、認識者として描かれていること。認識者である限りは、永遠の生を保証されるが、決して感動したり、葛藤することがない。だからモノクロームで描かれていると見城氏はひもときます。

しかし、天使は地上の女に恋をしてしまう。傍観者であることをやめ、他者と関係することを望んでしまう。一回だけの有限の人生であっても、そこには絶望や苦悩が待ち受けていても、平穏無事な認識者であることを止めて、傷つき、血を流す実践者であることの道を選ぶ。つまり、生きようと欲っする。その瞬間から描かれるカラーの世界。

恋をきっかけにして、天使は、何が待ち受けているかわからない短い人生を生き始める。天使から人間に変わること。認識者から実践者になること。モノクロームの世界からカラーの世界に飛び込む衝動こそ「暗闇からのジャンプ」であると。

また沢木耕太郎のノンフィクション「深夜特急」は、香港から始まりロンドンに至る著者が歩んだ1年の道のりを「暗闇のなかでのジャンプ」の連続と読んでいます。

かつて天使でいなかった人間などどこにいるのだろう。生きることは暗闇のなかでのジャンプの連続だ。と繰り返し問う見城氏。

この本を読み終えた時、僕自身の暗闇のなかのジャンプが思い甦りました。

専門学校を卒業してから4年間、本当にやりたいことがあると駄々をこねても、腹をくくるわけでもなく、働き続けていた会社が一瞬で消えてなくなり、時間ばかりを持てあましていた時。何の能力も技術も持ち合わせず、社会と関係ができていない自分を、ごまかしきれずにと日々鬱屈と劣等を溜めこんでいた時。なに気なく入った書店で出会うことができた一冊の本との出会い。それまで活字に触れることすらできなかった僕を救ってくれたのは、四角紙片の紙に刷られていた活字でした。あの活字との出会いが、その時の僕が認識者から実践者への一歩を踏み出せた瞬間だったと今でも思います。

天使は“恋”をきっかけに「暗闇のなかからジャンプ」をしました。
あなたがまた、暗闇のなかからジャンプをするのはいつですか?


kenzyou.jpg

「編集者という病」
見城徹著 太田出版刊


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山口デコ

湾岸地区

2007年03月20日 22:01

デコですこんにちは。

今日は、4月にレセプションを予定している、バッグブランドのインビテーションカードの印刷の刷り上がりを確認するために、羽田空港の近くにある印刷工場で刷りだしの立ち会いをしてきました。

いつもは、印刷直前の刷りだしの立ち会いはしないように、できるだけ細部をつめて、色校正で仕上がりの確認をしっかりとるようにしていいます。

ただし、この案件は特種な用紙やインクを使い、かつ加工もあるので、インクのモリ具合など微妙なサジかげんでがらっと仕上がりが変わるもの。

ゆえに、印刷会社の営業さんや職人さんを交え、印刷機の前でインクのモリ具合などを細かく相談して最終の刷り上がりの基準を決めてきました。

この後は、もうひと工程の加工の立ち会いを土曜日にして、最終の仕上がりイメージの基準がフィックスします。

ところでこのシゴト。実は最終的にオーバーワークとなります。デザイン作業や立ち会いなどの労力と印刷コストと、各アイテム(封筒・カード本体・返信用紙)の売上げ合計額(グロス)のバランスがギリギリのところまできてしまいました。

けれど、最近になって少し思うことがあります。

採算を緻密に考えた労力の中でシゴトを「器用にこなす」ことのつまらなさよ。
ということ。

もちろん、ただ働き的なオーバーワークは論外だけど、さまざまな制約条件をつき破ったうえで、デザイン物として、クライアントをズキン!とさせて、エンドユーザーもズキン!とさせて、結果としてのペイを目指してしていきたい。そのためにも、クライアントの担当者に対しても、真正面からぶつかっていきたい。受発注の関係性が壊れることを恐れずに、結果としての失敗を恐れずに。

それにしても、羽田の辺り、湾岸地区は空港以外はひっそりしていますね。

湾岸地区は人工的で寒々しいし、常に霞みがかっているような空気を感じたりするけれど、無機質で無愛想なとこが僕は好きです。ちょうど、海外の街並みにひとりで立っている時のように、ひとりの異物として際だつ感触が悪くないです。

ふだんは、垣間みることができなき自分の底までもが、際立ってくるからなのかもしれません。


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山口デコ

時間の重さ

2007年03月16日 22:00

デコです。こんにちは。

何かをするために必要なもの。それは、何をおいてもまず「時間」ですよね。

例えば「今日は久しぶりのお休み。忙しかったシゴトもようやくひと段落したことだし、せっかくだから、ひとりであそこに行ってあれを食べて、その後に、あそこであれを買っちゃおう!」というような、始まりから終わりまで「ひとり」ならば、自分の思い通りに時間の配分をきっちり決めて行動するのも、気のむくままに途中で予定を変えてみたりするのも自由自在、たとえひとりでも?いやいや、ひとりだからこそ、自由気ままな充実した一日をおくれることでしょう。

ところが、例えば「今日は久しぶりのお休み。忙しかったシゴトもひと段落したけれど、忙しすぎてあの人とずっと会えなかったから、今日はあの人と一緒にどこかに」というように、自分以外の誰かと一緒の時間を共有したいと思ったら、あたりまえだけれども、まず、相手の予定を確かめなければ、なにもはじめることができません。

さらに、相手のその後の予定も聞いた上で、一緒にいられる時間で何ができるのかもわかってくるし、限られた時間だからこそ、相手と一緒にいられる時間をできるかぎり充実した時間にしたいと思いますよね。特にその相手が恋人のように、自分にとって大切な人であれば、なおさら時間そのものが大切に思えてくるものです。

これをシゴトの時間にあてはめてみると、どうなるのでしょうか。

恋人や友人とは異なり、シゴトではお客さまとワタシという主従的な力関係が、多かれ少なかれ前提にありますよね。例えば、ディレクターである僕は受注される側の人間ですから、お客さまに対しての基本的な立ち位置は「従」です。

しかし、グラフィックデザインというシゴトは、お客さまとディレクターである僕の時間だけを共有させれば、成り立つというものではありません。他にも、デザイナーさんの時間、コピーライターさんの時間、カメラマンさんの時間など、さまざまなクリエイターの方々の時間から、印刷工場の職人さんから、納品してくれる配送会社のトラックの運転手さんの時間まで、多くの人の大切な時間を共有して成立するものです。

だから、お客さまとは「主従」の関係が前提にあるとしても、お客さまの時間にすべての人の時間を合わせることは、現実的に不可能なのです。そこで、お客さまの時間とこちら側の時間を調整し、合理的に共有させていくのが、ディレクターといわれる立場の人間です。

この合理的に時間を共有させていく、つまりスケジュールを組み立てることが、ディレクターの大事なシゴトのひとつです。

また、受注される側でシゴトをする者こそ、率先して合理的なスケジュールをお客さまに提示していかなければならないと思います。あやふやな時間配分で無理をして進行すれば、結果として逆にお客さまに迷惑をかけてしまうことになるものです。

これはあくまでも、最近の僕個人の印象ですが、合理的に時間の調整ができないディレクターや制作者、また、完成されたデザインはさまざまな人の時間の上に成り立っている、ということが感覚として欠如しているお客さまが増えているような気がします。

その結果、スケジュールは絵に描いたモチとなり、予定の工程期日を確保できなくなり、極論をいえば、完成されていない不本意なデザインが世に出てしまうことになるのです。

だからこそ僕は、主従の関係を時には乗り越えて、さまざまな重さをもっている時間を共有させていかなければならないと思います。

たとえ大好きな恋人でも、ずっとひとり占めにすることはできないですよね。だからこそ、一緒にいられる時間は限られていても、恋人との大切な時間は、かけがえのない重さをもつのだと思いますし、恋人の時間そのものの重さに、気がつくことができるのではないでしょうか。

僕は、ひとつのシゴトに関わるたくさんのかけがえのない時間の重さを感じながら、ひとつひとつ、デザインを完成させていきたいです。


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山口デコ

20>15>35<15<50

2007年03月15日 22:00

デコですこんにちは。

先月、僕は36歳になって30代も後半戦に突入したのですが、20歳から15年を経て35歳になり、あたりまえですが、あと15年経てば50歳になるわけです。

20歳からの15年と50歳までの15年。同じ15という数字だとしても、違う15年にしていきたい。いかなければならないと、今日、ふとお昼にカレーラーメンを食べつつ汗をかき、その15年に突入してからようやく1ヵ月遅れで、痛切に感じたのでした。

今はまだ、簡潔な言葉では説明できないのだけれども、理屈ぬきに。でしょうか。

う。。カラダだけ理屈ぬきに違くな(太っ)たりして。と思った人がきっといる・笑。

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山口デコ

経験と人を揺さぶる説得力 

2007年03月14日 22:14

デコですこんばんわ。

たまたまフラッと目的もなく立ち寄った本屋さんで、またまたステキな本に巡り会い、一気に読み終えました。これだから本屋さんハントはやめられません。

africa.JPG

『僕は見習いナチュラリスト アフリカ野生王国編』
加藤直邦 著 情報センター出版局


「ナチュラリスト」ってなんだろう。自然保護論者? それとも世捨て人のたぐいかしら? しかも「見習い」って? その他にも「アフリカ」「野生」「坂本龍一」などなどの気になるキーワードの数々。いったい、どんな本なのかしら。。

と思った瞬間、デコの負けです。すぐさま手に入れて、読まずにはいられなくなってしまうのです。(これって、恋愛と同じかもしれませんね)しかも、この本のどでかい帯の、メスライオンがごろにゃんっとお腹を見せて気持ちよさそうに寝てる写真ったら。。もー、ノックアウト。

そういえば、最近、というか子どもの頃よりも、僕は動物好きになってないだろうか。子どもの頃は、つまーんなーいと毛嫌いしていたテレビ番組「動物奇想天外」とか、この前、思わず見ちゃったし(けっこう感動)。なんでだろうね。

で、お話を戻して。

この本の著者の加藤さんは、どうやら最初から「ナチュラリスト」をめざしていたわけでなかったみたい。

そうそう、その前に「ナチュラリスト」とは、「博物学者」「動物学者」のことらしい。ちなみに、彼は、研究者というより野外での経験に重点を置いた「自然観察者」としてのナチュラリストを目指しているのだそうな。

彼がこの本の舞台となるアフリカに渡る前、つまり日本にいた頃は、密猟者を取り締まるレンジャー(野生動物保護官)か、調査研究などをして、環境破壊を止めるコンサベーショニスト(自然保護論者)になりたかったのだそうです。

で、そのためにアフリカのタンザニアにある野生生物管理大学へ留学しちゃう。本の中ではさらっと言ってるけれど、僕らからしてみれば、それだけでも大きな「決断」だと思わない?

ところが彼は、アフリカにきたら、ナチュラリスト志望に変わっちゃって「別に夢が降格してしまった、ということじゃない」と清々しく言いきっちゃう。(こんなところも彼の魅力でもあるのだけれども)

もちろん、それには「密猟の取り締まりや自然保護の前に、彼自身が本当の自然や野生について知らなければならない。ひとつのフィールドを探し、そこで継続して自然の流れを体感することだ」という、きちんとした理由があるのだけれど。

そんな彼は、自称「見習いナチュラリスト」をめざして、タンザニアの大学を卒業後、1年をかけて自然観察を主体とするサファリをしながら、アフリカ諸国を巡ります。

そして、南部アフリカの8カ国を一周したところで、タンザニアの隣のケニアに入り、就職活動をして、マサイマラ国立保護区にある日本人経営のロッジで、サファリガイドとして現地採用されたのです。

彼は、この現地採用を「運良く」と謙遜しているのだけけれど、

「僕はこのチャンスを利用して、ここで起こる出来事を自分の目で観て考えようと思う。観察の対象は自然や動物だけじゃなく、この環境に関わる全ての人たちも含まれる。たくさんのことに興味を持ち、いろいろな立場からものごとを考えてみたい。
日本の暮らしからはかけ離れた“非日常的な日常生活”の中にいることを自覚すれば、きっと、誰も気がつかなかった新しいものが見えてくるに違いない。
ともかく、今僕は“自然を心から楽しむ”ことは実践できていると思う。その中で何が得られるからは、あとは“自分次第”だ」

と語る彼だからこそ、運をつかむことができたのだとは思いませんか? 
しかも彼のこの言葉、アフリカに限ったことではなくて、僕らの日常生活でも言えることじゃない?


本編では、ライオンや象やカバといった、僕らにもおなじみの動物たちの「そんなことするんだ!できるんだ!」な、野生な立ち振る舞いの数々にまずドキドキ。読みすすめるうちに、このマサイマラで生きる動物たちのイキイキとして生態を知るだけで、なぜか僕のココロもイキイキとゲンキになってしまうのだから不思議です。

そして、さまざまな動物たちのエピソードに交えて、彼らの生態の近くでずっと生活してきた人間(マサイ族)や、そこを訪れるだけの人間たちと動物たちの関係など、印象的なエピソードがたっぷりと、マサイマラという魅力的なフィールドで、5年間にわたった加藤さんの経験に裏づけられた「人を揺さぶる説得力」のある言葉で語られています。

そしてそして、読み終わった後には、きっとあなたもマサイマラにすっ飛んで、オトナメスライオンの「フシギママ」や「ノマドの兄弟ライオン」、クロサイの「ハナ子」にどうしようもなく会いたくなってしまうことでしょう。


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山口デコ

シゴトはクスリ

2007年03月13日 22:45

デコです。こんばんは。

今週の日曜日から熱が出て、昨日は、打ち合わせの予定もなかったので、自宅対応とさせてもらい、お休みをもらって、きっと、のべ半日は寝込んでいたような気がします。カゼのようです。なにをするにも力が入らず、クスリを飲んで終止ぐったり。

そうはいっても、今日は打ち合わせが目白押し。休むわけにはいきません。朝、目が覚めた時は犬汗(熱が出た時ってたくさん獣のような汗をかきますよね?)たっぷりで「おお、すっきり」と思いきや、身支度をはじめたら、ホワホワフラフラオエー。

なんとか会社にたどりつき業務開始。デザイン作業をモクモクと、打ち合わせをミチミチと数本こなして、最後は、18時から表参道で雑誌の編集タイアップの初回打ち合わせ。

その打ち合わせの後、今回、コピーライティングと取材をお願いするライターの方と、お互いにコンセンサスをとるために軽く打ち合わせ。

終了して戻ってきたのが20時過ぎ。気がつけば、ホワホワフラフラオエーもすっきり。

イチバンのクスリはシゴトなのかもしれませんね。特に、参加される人の様々な立場を考慮しながら、求める方向に議題を進めていかなければならない「打ち合わせ」が、どんなクスリよりイチバン効くのかもしれません。

今夜も犬汗をかいて、明日もモクモクとがんばりましょう。

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山口デコ

手とペン

2007年03月09日 21:23

デコです。こんばんわ。

煮つまってます。僕の手を止める要因がいったいどこにあるのか、アタマの中で整理する前に、テンションも切れてしまったようです。

固まってしまった我が脳ミソを再起動させて、ブインブインと処理速度をもとに戻すのに、マッキントッシュのようにボタンひとつでてきれば良いのですけれど、そうはトンヅラです。

それでも、手を置いて他のことを始める前に、僕は必ずやることがあります。それは、途中まで進んでいるデザイン案を、あえて最初から手とペンで書きおこし、ラフスケッチとしてひきなおし、紙に留めておくこと。

それが次の一手へのきっかけになるのはもちろん、そのラフ中にスラスラーっと新たな構成や展開が舞い降りてくることもあります。

別にデータ上で留めてあるのだから、いーじゃん。という意見もなきにしもあらずでしょう。ところが、さしものマッキントッシュも、手とペンの「自由な動き」には叶いません。

精密度を必要とする時、つまりフィニッシュワークには、べらぼうに効率よく動いてくるマッキントッシュも、脳ミソの極わずかな一点から立ち上がってくるコトやモノを、絵(グラフィック)として具現化しなければならない時には、手とペンには負けてしまうようです。

いったん、凝り固まってしまったアタマを自由にしてあげる。そのためにも、手も自由にしてあげているのかな。そんな感じだと思います。

さらにアタマを自由にしてあげるためにも、今日はどこでオツカレビールを飲るべきか。それが問題です。(また煮つまってる!)

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山口デコ


勝ち組? セレブ? アイドンノー

2007年03月06日 18:56

デコですこんにちは。暖かくなってきましたね。夕立もワクワクしちゃうし。今日も元気にいってみましょうねー。


いま書店に並んでいる矢沢永吉さんが表紙の『週刊文春BUSINESS』。テーマキャッチは、「反(アンチ)セレブ宣言」。

「勝ち組」「セレブ」というような象徴的な言葉に代表される「格差社会」を特集のテーマにしています。

その巻頭では、週刊文春の編集者が「格差社会」という言葉を、マスコミにしてはめずらしく、丁寧に言葉を選び、再定義してくれています。

例えば、ある編集者のコラムでは、「格差社会」を「貧富の差のある社会」と誤解し「努力した者が報われる社会は当然だ」としている政治家が多くいることをあげています。

当然、「格差社会」とはそのような社会ではなく、「貧しい人がそこから這い上がる可能性が少ない社会。努力しても報われない社会」と定義し、経済、地域、教育、性差、時には、愛情まで「格差」がある。そんな社会が出現しつつあると警笛をならしています。

また、別のコラムでは「格差社会」と強く結びつけられてしまうセンセーショナルな事件をとりあげ、「不幸は、幸福を生む。幸福は、幸福を生まない。幸福は、ただ、恐ろしいだけだ」との、ある作家の言葉を引いています。

物質的に恵まれた、いわゆる「セレブ」家族の人々が、なぜ、憎み合い、自分の幸福をすべて失う危険を冒してまで、兄弟や夫を殺害するのか。

外見的、物質的な成功を「勝ち組」とする考え方は、成功を「勝ち取った」瞬間、目標を失い、一体、何が幸福なのか、自分でもわからなくなってしまう危険をはらんでいるのではないか、と結び、

昨年、秋田で起こった母親による2件の子ども殺しについて、事件が起こった街を取材した記者たちが感じた、映像で見た清潔そうな街並と実際の落差との驚きをとりあげています。

一見、新しくきれいにみえる街は、都市の中心部から離れ過ぎて、職に就くには遠すぎ、地域の周辺には、産業廃棄物が山積みにされている。安価な家賃が魅力で移り住んできた住人たちは、結局、仕事が見つけられず、生活保護に頼る家庭も少なくない。

貧困から抜け出せない。という絶望。絶望を癒すものが、たとえ母親だったとしても、異性関係しかない。。

経済格差、地域格差、教育格差、あるゆる格差があの事件の背景にあると指摘しています。


なぜ殺されるかもわからないまま、殺されてしまう貧しい家庭の子どもがいれば、何不自由ない暮らしの医者の子どもが、母や兄弟を殺す。

『勝ち組家庭は親兄弟を殺し、負け組家庭では子どもが殺されている』

毎日事件を追いかけている記者たちが実感しているこの事実に、いいようのない寒気を感じてしまいます。


また、この週刊文春の増刊には、表紙に登場しているくらいですから、矢沢永吉さんのミニインタビューも掲載されています。

まずは「勝ち組」や「セレブ」といった「言葉」をひとり歩きさせているマスコミをチクリ。

「『金持ってればセレブ』みたいに片付けるからトンチンカンなことになっちゃう。原点に立ち返ってセレブとかリッチとか横文字止めてノーマルにいこうよ。」

「『金はそんなにないけどさ、けっこう自分の人生悪くないよ』って言ってる奴らが、いい意味で勝ち組なんじゃないの」

「すごく夫婦仲良くて『僕らハッピーだよ』っていう人はハッピーなんだから、勝ち組も負け組もないじゃん。(中略)わかってるくせに、テレビも雑誌もひっかけまくるんだよ」

などなど。わかりやすくて切れ味の良い言葉がとても気持ちいいです。

一時期マスコミを騒がせたけれど、矢沢さんは、側近が無断で投資をし、失敗した結果作った35億の借金を被ったことがありました。

彼は、それを自分で完済し、昨年(だったかな?)赤坂に、地上3階地下3階のスタジオが入ったビルを建てたのです。

そんな彼ゆえに、このインタビューの最後の言葉にググッときてしまいます。

「人のせいにしないで、逃げないで、人に丸投げしないで、自分の義務を全うして、まずアンタやったら?っていうとこから始めるべきじゃない?」
「サラリーマンだって、タイムカードを押してりゃいいわけじゃないんだよ。少なくとも席を得てボーナスもらって、それで生計立ててるなら、会社と職種にプライド持てって言いたいよ。つまり、みんな自分ですよ。自分でケツ拭くのは大変だけど、地獄に落ちやしないから」

曖昧にされたままの言葉の抽象的なイメージに振り回されず、常識をふまえ、自分の考えを持ち、できることとやるべきことをやる。それが、シャバダバしないで生きていくコツなんだなあー。と、このインタビューだけでも、たくさんの元気をもらえました。

この『週刊文春BUSINESS』。他には、無担保で貧しい人々への小額融資を実施しているバングラデシュのグラミン銀行の総裁、ムハマド・ユヌス氏(ノーベル平和賞を受賞)へのインタビューや、心療内科医の海原純子氏の「こころの格差」をテーマにした記事が面白いと思います。

雑誌としては、ひさびさのデコリコメンドです。


bunsyunn.jpg

『週刊文春BUSINESS』
文藝春秋社 刊


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山口デコ

フラメンコ

2007年03月02日 20:32

デコですこんばんわ。今日はフライデー。あっという間に週末です。ダンシングクイーンですね。

デコは先日36歳になりましたが、最近テレビを観ていません。シゴトの区切りをつけてオウチに帰りつくのはほぼ毎日1時、2時となるので、ふつうに月9のドラマとかは観ることができません。それと歳とともに、なぜかNHK比率が高くなってきました。日々オッサン色を熟成させています。

ところが昨日ひさしぶりに23時にオウチに帰りつくことができたので、テレビをプチっとな。YOUが出ていました。この人、歳とともにどんどんイー感じいなってきてステキ。カワイイです。

しばらくYOUと関根勤のアホな絡みに笑った後、いつものくせでNHKにプチっとな。

フラメンコギターリストの沖仁さんという人の生きざまをフューチャーする番組でした。彼はもともとライブハウスを営むご両親のもとで、子どものころからピアノ・ドラム・ベースなどなど、いろいろな楽器に興味をもちチャレンジしたいたそうです。

彼は高校の時にカナダに留学し、そこで音楽を楽しむことに気がつき、将来的にもそのまま音楽の道に進むことを決め、留学先から、クラシックギターを学ぶためにアメリカの音楽学校への入学手続きも済ませたのです。

ところが、ある日著名なフラメンコのギターリストの演奏に出会ってしまったのです。自分がやりたかった音楽に出会ってしまったのですね。そしてそれは、クラシックギターを学ぶための学校へ入学金を払った後のことでした。

彼はすかざす、国際電話でお父さんに相談したそうですが、厳しいお父さんだったようで「ばかもーん!今さら何をいってるんじゃー。一晩じっくり考えてアタマを冷やして明日また電話しろー」と、とりつくしまもなかったようです。

そこで彼は、その日一晩中、クラシックギターの曲とフラメンコギターの曲を交互に聴いたそうです。

そして自分で下した決断は
「僕はやっぱりフラメンコが好きだ」
なのでした。

当然、お父さんからの援助は一切断ち切られ、留学していたカナダでアルバイトを1年半続け、お金をためてフラメンコを学びにスペインへ発ったのでした。

マドリードで著名なギタリストのオウチを探しては訪ね歩き、ほとんど会えなかったようですが、ある往年のフラメンコのギターリストに会うことができて、レッスンを受けることができることになりました。

そして時とともに、マドリードには彼が求めるフラメンコはなかったことに気がつき、へレスというフラメンコ発祥の地に移り住んだのです。

このへレスという街は、良くも悪くもフラメンコの街で、フラメンコさえあれば職もお金もいらーん。というような空気の街だったようです。

番組の中で、沖さんがこの街のことを語っていた時、かすかに涙ぐんでいました。とても強い印象を与える街だったのでしょうね。彼のギタープレイの根っこを育んでくれたのではないでしょうか。

デコには、このヘレスという街が具体的にイメージできなかったのだけれど、その分興味もシンシンでした。僕はイメージできない街とか国の話を聞くだけで、ひどくワクワクしてしまうクセがあるようです。

彼は番組の最後に

「僕はギターを弾く時に、自分と楽器のギャップをまずなくしたいと思います。その後に、自分とお客さんのギャップをなくしたいです。まず楽器とのギャップ、つまり技術的にできないことがあっては、お客さんに表現を伝えることができない。自分と楽器のギャップがなくなって、はじめてお客さんに僕の音が届く」

というようなことを言っていました。これはデコのシゴトにも通じることですね。表現を支えるための技術力はとっても大切なものです。そしてこれは、人から与えられるものではありません。自分の力で磨かなければなりません。つまり、デコもまだまだこれからなのです。

今日も生きざま更新中!
山口デコ


Paper

2007年03月01日 21:30

デコです。こんにちは。
今日からマーチです。てってけてー♪

昨日このブログにも書きましたが、いま進行中のフランスのバッグブランドのインヴィテーションカードと封筒のデザイン案を、明日の午前中にクライアント(お客さま)にプレゼンする予定です。

制作物によりますが、通常のプレゼンではカラープリンターでカンプ案を出力したものをデザインの見本(カンプ)として、提案する場合がほとんどなのだけれど、今回のようにファッションブランドのカードやカタログなど、デザインと共にその制作物が持つ素材感や厚さ、加工の具体的なニュアンスを重視しなければならない場合、最初のプレゼン時にクライアントにしっかりイメージしてもらうことが大切です。そのため実際に印刷に使用する用紙を用紙メーカーのショールームなどで買ってきたり、その用紙をプリントアウトして、自分で切ったり貼ったりして、ちょっとだけあえて時間と労力をかけることも少なくありません。

とはいえこういった場合、作業のほとんどがまったくの手作業になるのだけれど、なかなかに楽しい作業になります。

自分が頭にイメージしていたデザインが、自分の手で具現化されイメージどおりのシカケやコウカが、目の前に現われてくるのが楽しいのだと思います。

特に今回は、封筒に紙の特性上あまり使うことができない用紙をあえて使用する予定です。それほど手間もかからなくて、ちょっとしたことなのだけれど、さっき実際に封筒を切った貼ったで製体して、中にいれるカード案(これもあえて印刷に使用する用紙にプリントアウト)を封入れした状態が、目の前に現われてきたのだけれど、思ったとおりの仕上がり具合にほっとひといきです。

今回の「紙」のように、デザインをする対象が持つひとつひとつの属性をあーだこーだ吟味していくと、レイアウトや図案を考えるのとは、ひと味違ったグラフィックデザインの魅力に気がつくことができると思います。

特に「紙」はそれこそ何百種類の紙があり、そのひとつひとつの表情はひとつとして同じものはありません。ある程度、紙の見本帳であたりをつけてから、実際にショールームに出向き、用紙サイズの紙の中からぴったりの紙をみつけることができた瞬間はまさにストライク! 素敵な女性に出会えた瞬間のように、その後の展開(デザイン)もおのずとワクワクしてしまうものなのです。


今日も生きざま更新中
山口デコ

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