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犬一
1979年12月11日 香川県坂出市出身 東京都町田市在住 フリーの妖怪絵師...

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今でもたまに見る悪夢(中)

2006年09月29日 9:22

→(上)の続き
そしてそんな私にも転機が訪れた。
22歳の時、四ヶ月間空手を休んで留学する事にしたのだ。
空手とは別に人生経験を積むのも悪くないと思っていたのと、
私の空手はアメリカ人に通用するか?
というアホな思いも密かに抱いていた。
向こうではボクシングを習おうと思っていた。

今から思うとそんな留学生は滅多にいない。
動機がある意味においては不純である。
バカ大学の、金さえ払えば誰でも行けるバカ留学だったが、
せっかくなので英語も喋れるようになれればと思い、
事前に必死で勉強もしてはいたのだが。

留学先は私が日本で通っていた大学の提携校で、
コロラド州デンバーの片田舎にあった。
標高が高いため酸素が薄く、
隣町のボルダーには高橋尚子も練習に来るぐらいの、
有酸素トレーニングには適した土地だった。
私は毎日学校の周りを走っていた。
酒を飲んでも欠かすことなく。

生活が落ち着くとデンバーのダウンタウンで、
あるボクシングジムを見つけて通い始めた。
しかし全然トレーナーには相手にしてもらえなかった。
私がやらされたのは階段の上り下りと縄跳びだけだった。

いかにもそのジムの期待の星っぽい黒人がいたが、
そいつを「ヘイ!黒ブタ野郎!俺とファイトしないかい?」
と挑発する程の勇気はさすがに湧いて来なかった。
もし戦っていても間違いなく負けていたと思うが。
そしてジムからはどんどん足が遠のいていった。

その後スノーボードで頭を強打して救急車で運ばれて以来、
毎日のトレーニングもさぼりがちになっていった。
次第に酒ばかり飲むようになっていた。

こうして格闘技術の面では何の収穫もないまま私は帰国する事になった。
(下)に続く→

今でもたまに見る悪夢(上)

2006年09月27日 0:49

私は久しぶりに勇気を出して空手の練習に行くことにした。
あれ?とっくの昔に辞めたはずなのに?と思いながらも。

練習はちょうどスパーリングの真っ最中だった。
しかし誰も私の相手をしてくれない。
みんな無表情で私の前を通り過ぎていく。
誰にも相手にされない。
先輩にも後輩にも嫌われてしまったようだ。

下の階から妹の声が聞こえる。
「おい!おまえがまろみの散歩に行けよ!
私はもうバイトに行くからな!二度寝するなよ!」
「おう、わかっとるわ」と私は答えた。

とは言ってもスパーリングの最中なのにどうすればいいのだろう。
私は勇気を出して怖い先輩にこう申し出てみた。
「押忍、家庭の事情があるので抜けさせてもらっていいですか?
すぐ戻ってきますので」と。
すると先輩は私を一瞥しながらこう言った。
「無理して戻ってこなくていいよ。二度と来なくていいから」と。

ああ、破門されてしまった。
かなりショックな出来事だったが、
破門という響きは悪くないなと思った。
なんかアウトローっぽくていいかなと。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

犬の散歩に行きながら考えた。
やはり空手の道場をいいやめ方をしていなかった事が、
私の中で大きなトラウマになっているんだなあと思った。

大学生の頃はそうとう空手に打ち込んでいた。
自分でいうのもなんだがかなりがんばっていたとは思う。
力が強い方じゃなかったのでウェイトトレーニングに励み、
毎日悲鳴を上げながらも柔軟体操を欠かす事はなかった。
蹴られて脚が動かない時は脚を引きずって学校に通っていたし、
拳を痛めた時は左手でノートを取っていた。

多くの人間が挫折してやめていく中で、
意外にも虚弱体質の私は執念で生き残った。
帯も最短で黒帯の一歩手前の茶帯まで取る事ができた。
指導も少し任されるようになっていた。
私の身体的なコンプレックスはほとんど解消されていた。
私でもやればできるのだと。

小中学校の頃は運動ができずに常に馬鹿にされていたように思う。
体育の授業でも「いかに笑いを取るか」そんな事ばかり考えていた。
そんな考えが私をより運動ができない人間にしてしまったのだろう。
いつも鬼ごっこで私が鬼になると、
走るのが遅くて誰にも追いつけなかった。
近所の友達の間で流行った靴飛ばしでも、
私の靴が遠くに飛んだ事は一度もなかった。

そんな私が少年部や大学生の指導を任されるようになったのだ。
あの頃が自分に自信を抱いていたピークだったと思う。
何にも怖いものなんてなかったとまでは言わないが、
精神的に不安な思いをする事は少なかった。

しかしそんな私にも転機が訪れた。
(中)に続く→

昨日見た夢を覚えていますか

2006年09月19日 2:57

幼馴染みのキョンシー(死体みたいなのでこう呼ばれていた女)となぜか付き合っている私は、キョンシーを連れて歩くのが恥ずかしくて仕方がない。しかしキョンシーと一緒に同窓会に向かう途中に、元クラスメートのさぶ嶋(さぶすぎてこう呼ばれていた男)と出会ってしまった。付き合っている事を悟られぬように「ごめん、トイレ!」と言って逃走、デパートのトイレに向かった。

トイレは5階だったのでデパート専用のリフトに乗る事にした。リフトは透明のアクリル製の棒につかまるタイプで、マネキンの間をするするとすり抜けて登って行ったのだが、すぐ手のマメがつぶれたので私は3階でエスカレーターに乗り換えた。

ついでに機種変更しようと思って携帯コーナーに向かった私は、その途中で柴犬型のロボットを見つけてしまった。リモコンの右スティックで移動、左スティックで鳴き声の調整というシンプルな作りの物で、子犬ぐらいの大きさでたったの三千円。

サンプルの左前足と右後ろ足が壊れていたので、V6の最年長の人(名前は忘れた)に「在庫ありますか?」と尋ねると、彼は柴犬のプラモデルを持って来て「これでいいですか?」と言った。私が「プラモデル形式ですか?」と聞くと彼は「プラモデル方式です」と答えたのでそれを買う事にした。

私が一万円札を出すと、彼は三千円札と二千円札と千円札二枚を私に手渡しながら「今日は同窓会に行けなくてごめんね」と言ってきた。「ああこいつは仕事で来れんのか。しかし同窓会の会費を払いやすいようにおつりを三千円札でくれるなんて気が利くなあ」と思った。

すると電話が鳴ったので出てみると「こんにちわ!ワシントン○○カレッジ○○校日本支部の○○です!」というやたらとテンションの高い女性の声が。「すいません、興味ないんですけど」と言うと「オーマイガー!少しも!?」などと言うので「必要ないです」と答えると「そっかあ…残念!センキュー!」と言ってすぐ電話は切れた。

トイレに行って少し考えた。
あの電話は夢じゃない?
あんな勧誘ありなんか?
もっと話しておけばよかった。

ショップスタッフ批判

2006年09月18日 23:54

先日の美容師と眉毛に関する日記に引き続き、
都会と地方における服屋の店員の態度を比較してみようと思う。

今年の春私が岐阜の友人を訪ねた時の話である。
味噌カツを食べた後、私は友人達に連れられ、
岐阜では有名らしいセレクトショップに向かった。
貧乏旅行をしていたため服を買うつもりなど更々なかったが、
一応売り物を見るだけ見ておこうと思ったのである。

狭い店内にも関わらず四人もの店員が暇そうに立っていた。
私達が店内に入るとさっそくその中の一人が近寄って来て、
「何かお探しですか」と話し掛けてきた。
私が「ちょっと見てるだけなんで」と答えると、
「どこからきたんですか?」と続けるギャル男くずれ。
品定めされているという事に気づいた私は、
彼のうざさを引き出してやろうと思い、
「四国から来ました」と答えた。
案の定彼は勝ち誇ったような笑みを浮かべて、
「それはそれは遠い所からわざわざ!」と言った。

もうサーファーもどきの勢いは止まらない。
私が岐阜より田舎の四国から出て来た事を確認すると、
「これは東京で流行ってるんですよ!」とか、
「この素材はフェイクレザーと言って最新の…」とか、
「こういうコーディネートもおもしろいと思うんだけど」とか、
得意満面で商品を売りつけようとしてきた。

しかしその中でも一番気になった発言は、
「このブランドは木村拓哉さんにも御愛用いただいております」
「あっあとEXILEさんにも…」というものである。
田舎の人間がみんなキムタクやEXILEに興味があると思っとんか?
しかもなにさんづけで知り合いのような顔しとるんや?
そして絶対におまえになんか服をコーディネートして欲しくないわ。

もし私が東京から来たと言っていたらどんな接客だったのだろう。
おそらく話を合わせる方向で接してきていたのではないだろうか。
どちらにせよ私は久しぶりに地方特有のうざい接客を目の当たりにして、
香川で買い物をしていた頃を懐かしく思い出した。
あからさまな都会コンプレックス。
やたらと売りつけようとする強引な接客。
たしか地方の服屋ってこんな感じだったなあと。

地方にも品揃えが良くて接客もきちんとしている店もたくさんあるし、
逆に東京にも接客がひどい店もたくさんある。
美容師にしてもショップスタッフにしても共通して言える事だが、
決して下手に出てはいけないと思う。
損をするのは消費者なのだから。

振り返ると都会と地方の比較になっていないし、
その店員個人の批判に終始しているが、
まあただの思い出し怒り日記という事で…

価値観の違い

2006年09月17日 1:57

私は去年の年末以来ずっと髪を伸ばしっ放しだったのだが、
祖母に汚いから切れと言われてお金を渡されたので切る事にした。
香川で髪を切るのは高校生の頃以来だったので十年ぶりぐらいだ。

妹に紹介してもらったヘアサロンに予約して、
きちんと時間通りに到着した。
しかし「今日はどんな感じにしますか?」と訊かれて、
私は全く髪を切りたいと思っていない自分に気が付いた。
しかしここまで来て今更引き返すわけにも行かない。
仕方がないので全体的に量を減らしたいという意図だけを伝えた。

シャンプーを済ませて待っているとアシスタントらしき男性が、
「眉をカットしますね?」と言いながら近づいてきた。
私は「あっ、眉はけっこうです」と答えたのだが、
「えっ?なんでですか!?絶対カットした方がいいっすよ!」と、
年の頃二十歳ぐらいの元気いっぱいの若者は引き下がらない。
「いえ、このままで大丈夫です」と再度断ったのだが、
それでも眉毛を細くしたその男は引き下がらないのである。
「ちょっと切るだけっすから!」とあまりにもしつこい。
そうこうするうちに気が弱い私はとうとう、
「じゃあソフトにお願いします…」と折れてしまった。

いやだなあと思いながらも眉カットは終了。
「どうっすか!」と言われたので鏡を見たのだが、
眼鏡をかけていなかったので何も見えなかった。
私はとりあえず「大丈夫です」とだけ答えた。
その後髪のカットは問題なく終了。
そして家に帰って至近距離で鏡を見ると、
問題の眉毛はけっこう細くなっていた。

私も二十代の前半までは眉を抜いたり切ったりしていた。
その当時は失敗して細くしすぎて後悔した事もあったが、
今は男気という面でも自然体である事にかなりこだわっている。
そのいかにも整えましたという感じに揃った眉毛を見て、
私は泣きそうになった。

よくよく考えてみると、
あそこにいた美容師達は皆眉毛をきれいに整えていた。
もちろん女性ではなく男性の美容師達がである。
本当は「いい歳して眉毛をいじりたくないんで」と断りたかった。
しかしいい歳して眉毛をいじりまくっている男達がいる場所で、
その言葉を口にすることは出来なかったのだ。

そして香川の街を歩く若者達を見てもやはり、
東京に比べて眉毛が細い男が多いように思う。
いい歳をしたおっさん達でさえも。
なんで地方の人は眉毛を細くするのだろう?
しかしそれがいいと思っているのなら仕方がない。

腹が立って物や壁に当り散らしていた私も、
あのアシスタントが良かれと思ってやってくれた事だと思うと、
少しは怒りも治まってきた。
彼がそうした方がかっこいいと思ってやってくれた事には違いない。
それに断り切れなかった私が一番悪いのだ。

しかし価値観の違いとは恐ろしい。
今後香川で髪を切る事があれば、
また同じ危険に曝される事になるかもしれない。
その時は自信を持ってこう答えようと思う。
「あえてやぼったくしてるんです」と。

行ったり来たり

2006年09月10日 0:51

明日からまた香川に帰ろうと思います。
遺産相続の問題でけっこうもめそうなので、
落ち着くまで東京には帰って来ないつもりです。
画材やスキャナーとプリンターも向こうで揃えよう。

しかし人はお金がからむと怖いですね。
ふだん優しい人が人が変わったようになるからすごく怖いです。
特に女性の方がよりその傾向が顕著に表れるように思います。

ああ、めんどうくさい。
せめて実家だけは取られんようにがんばろう。
遺産相続関係の本ばかり読んで勉強しています。

香典泥棒

2006年09月09日 3:44

通夜の夜も午前一時を回り、
もう弔問客が来る気配もなかったので、
私と祖母と妹は祖父の遺体の傍に布団を敷いた。
通夜も葬儀も全て葬儀社にお願いしていたため、
遺体は実家ではなく葬儀社の会館に安置されていた。

その日は悲しかったり急がしかったりと、
憔悴しきっていた私は布団に入ると同時に深い眠りに落ちた。
しかしふと気が付くと真夜中にも関わらず弔問客の姿が。

祖父は十一人兄弟のため把握し切れないぐらい親戚が多い。
見た事もない中年の御夫婦だったが親戚かもしれない。
こんな夜中に来てくださるなんて、
きっと遠くから駆けつけてくださったんだなと思い、
私は寝たまま「ありがとうございます」と声を掛けた。

しかし相手は無言。
祖母も妹も全く起きる気配はない。
嫁らしきショートカットのおばさんが遺体を覗き込みながら、
「まあ…きれいなお顔…」などと言っていた。
布団の中から「ありがとうございます」と繰り返す私。
夫らしきおじさんは襖の外に立っている。
逆光で二人の顔はよく見えない。

なぜそこまで覚醒していながら布団から出ないのか、
疑問に思われる方があるかもしれないので、
今更ながらカミングアウトさせていただくが、
実は私は両腕と背中に墨を入れている。
それを親戚に見られるわけにはいかないと思い、
寝ぼけたふりで通す事にしたのである。
暑くて無意識に上半身裸になっていたので、
絶対に布団から出るわけにはいかったのだ。

目を瞑っているとその二人が襖を閉めて出て行く気配を感じた。
しばらくして私はトイレに行ったのだが二人の姿はなかった。
そしてふと携帯を見ると午前三時半!
あの人達どこから来たんや?と思いながらも、
疲れていた私は布団に戻ると同時に夢の世界へ。

次の日は葬儀だったのでそんな事はすっかり忘れていたのだが、
骨拾いと早めに繰り上げた初七日の法要が終わった後、
食事の席でふと深夜の弔問客の事を思い出した。
そして親戚一同がいる前でその話をしたところ、
「それって香典泥棒ちゃうか!?」という話になった。

確かにおかしい。
今回の葬儀では香典をお断りしていたため被害はなかったが、
弔問客はその事を知らないはずなので、
弔問に来たのなら必ず香典を置いて帰るはずである。
もちろん香典は置かれていなかった。

にわかにざわめく親戚一同。
「けんちゃん相手の名前とかたずねんかったん?」
「あやしいと思わんかったんか?」
「あんた一体何しとったの?」
などと質問攻め。
送られるのは軽蔑の眼差し。

更には、
「いや、しかし誰にもケガがなくてよかったなあ。
女が気付いて騒いだりして刺されとったらえらい事やで」
「寝とるだけでも男の人がおったからあきらめたんやわ」
などと当てつけっぽい非難の嵐。

何も言い返せなかった。
「疲れて寝ぼけとったんや」とおちゃらけて道化を演じる私。
いつもそんな風だから私は親戚の集まりに呼ばれないのだろう。
別にそれでええけど。


ただなあ、

香典泥棒!

おまえらはなあ、

絶対ええ死に方はせんぞ!

不幸がありました

2006年09月08日 14:50

8月31日に祖父が亡くなったので帰省していて、
昨日18きっぷの残りで東京に帰ってきました。
急な事だったのでほとんど手ぶらだったため、
着替えやPCなどを取りに戻っただけなので、
明日また18きっぷで香川に帰ろうと思っています。
片道13時間の旅にもすっかり慣れてしまいました。

祖母がひとりぼっちになってしまったので、
しばらく私が祖父母宅に寝泊まりする事になりました。
九月下旬には妹と入れ違いに東京に帰ってくる予定です。
携帯とPCと画材があればどこでも仕事ができるのも、
フリーの仕事の魅力ですね。

妹と犬達は香川で暮らす事になりました。
また私は一軒家で一人暮らしの状態に戻ります。
祖父のように犬達の死に目にも会えないかと思うと、
今から涙がこぼれてしまいます。

じいちゃん死に目に会えんでごめん。
東京でおっても毎日だらだらしとるだけやのに。
四十九日間は禁酒禁煙節射精で喪に服します。
毎日の読経も欠かしません。どうか安らかに。

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