十代の頃読んでいた「葉隠」を読み返してみたのだが、以前は一体どこをどう読んでいたのだろう。数年前の自分の理解力のなさに激しい憤りを覚えた。それほど新たな発見があったので、「葉隠」の紹介も兼ねて、感想をここに記しておこうと思う。
「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」という一節で有名な「葉隠」は、元禄期の元鍋島藩士山本常朝の口述を田代陣基が編纂した、武士道の規範となった思想書である。
私達が古典の思想に親しむ時、現代人の優位性というものを抜きに、その古典と向かい合う事は絶対にできない。最新の時代を生きている私達は、歴史を知る事によって、その思想が後世にもたらした良い影響も悪い影響も共に知っているし、また当時の人よりも広い見識でもって、過去の無知による矛盾点を指摘する事も容易だからである。
この優位性のため、これまでの私が古典と向き合う姿勢というものは、大体が違和感から出発し、読んでいるうちに引き込まれて共感した後、読み終わってまた現実に引き戻されるといった、まるでフィクションを読んでいるような非現実感を伴ったものであった。
しかしこの「葉隠」に対して私が抱いた感想は全くの別物であった。違和感から出発した事には変わりがない。読み進めていくと引き込まれもするだろう。しかし読後も現実と一体化しているのである。元禄期に書かれた書物が、現代に生きる私の実生活に多大な影響を及ぼしているのだ。
これまでこのような経験がなかったという事は、私の無学によるところも大きいとは思うのだが、それでも「葉隠」の秀逸さを認めないわけにはいかない。現代とは全く違った社会状況において説かれた思想なのにも関わらず、それでも現代人に通用する人間の根本原理に根ざした実践的な普遍性。理屈に固執せず、かといって感情にも流されないバランスの良さ。
無論私自身の好みの問題もあるだろう。それでも私はこの「葉隠」が、戦時中もてはやされていたという経緯から、現代教育に於いて敬遠されているという事実を厭わずにはいられない。是非みなさんも御一読いただければと思います。
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