長い間、ありがとうございました。
2011年01月31日 11:56
これが、ここでの最後のブログになります。
最後に、私自身のことを少し書かせてもらいます。
私は新潟大学の教育学部を出て、新潟県の中学校の英語教師を
8年やって辞めました。
教師になった理由は、子どもたちと触れ合いながら、共に成長して
いけたら、という願いがあったからです。
しかし現実は大変厳しいものでした。
学校というシステムになじめず、子どもたちともうまくいかず、
やることなすことすべて空回りで、苦しい日々の連続でした。
学校は子どもたちを管理しようとします。
やれ、頭は丸刈りだ、スカートは膝上10センチ以内だ、などど、
大人が作った校則をやかましく守らせることにきゅうきゅうとして、
息詰るような日々。
勉強も、いかに暗記してテストでいい点を取るかが最優先の世界で、
実のある学問をするような場になっていない。
そんな学校のありかたに疑問を感じたり、ためらっていると、
こんどは子どもたちがそのスキをついてきます。
いじめ、不登校、飲酒喫煙、万引き等、何でもありました。
学校は荒れ放題で、子どもの立場に立って触れ合いたいと思っても、
すべてが空回り。
学校では、子どもたちをきちんと管理できる先生がいい先生で、
それができない先生はダメな先生だと評価されます。
その点、自分は本当にダメな先生でした。
ある生徒が卒業後に手紙をくれました。
そこには「平野先生は、ダックス先生だったんだと思います。」
と書かれていました。
ダックス先生というのは、灰谷健次郎さんの本の中に出てくる先生で、
周りから、甘くてダメな先生だと思われているのですが、
子どもたちのことを心から想っている先生。
でも、自分はダックス先生にはなれなかった。
針のむしろに座っているような辛い日々の中で、精神は萎え、
このまま教師を続けたら、身も心も死んでしまうだろう、というところまで
追い詰められました。
まだ命あるうちに、再生したい・・・
そんなことで、教師を辞め、大好きだった書の道に進んだのです。
だから、人から、「よく学校の先生を辞めて、書の道に進んだね!」
と感心されることがありますが、自分が生きていくためには
それしかなかったのです。
いまは学校の教師を辞めたことに、微塵の後悔もありません。
この道に進んだことで、教師を続けていたら出来なかったことが出来、
出会えなかった多くの人たちと出会うことができました。
そして、「二度と学校の敷居をまたぐことはないだろう」と思っていた
私が、いま、学校から講演やパフォーマンス、書の指導の依頼を
いただくようになりました。
これも不思議な縁ですが、私の中にあって、挫折を通じて心の奥底に
封じ込められていた想い・・・かつて教師になったときに抱いた、
子どもたちと触れ合いながら、共に成長していけたら、という願いが、
少しずつほころんで、表に出てきたような気がします。
人生、挫折をしても、それで終しまい、ということはありません。
生きているかぎり、からだの細胞といっしょで、人間はいくらでも
再生していくことができるのです。
若いみなさんは、本気でやろうと思うなら、何だってできます。
ぜひ、勇気をもって、何事にも体当たりでチャレンジしていってください。
みなさんが自分自身の人生を楽しみながら歩んでいくよう祈っています。
長い間、プログを読んでもらって、ありがとう!
また、どこかでお会いしましょう。
SOGENことなか!












最新コメント