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1961年、新潟県十日町市生まれ。公立中学英語教師を経て、30歳で書芸家に転身。...

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河井寛次郎著『六十年前の今』を読んで?その2

2009年08月28日 11:29

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河井寛次郎の『六十年前の今』を読み、感動・・・!
この本に出会えたことに感謝!
本を読んでこんなに感動したのは、岡本太郎の『日本の伝統』と『私の現代芸術』を
読んで以来だ。
タロちんとカンちゃん、この二人は自分にとって、心の師なり。
タロちんには生きてるうちに会えたけど、カンちゃんに会えなかったのがザンネン!
そんとき、こっちはまだ5歳のガキンチョだったからなぁ・・・

『六十年前の今』は51の逸話で構成されているんだけど、何とも贅沢な本で、
表紙の挿し絵だけでなく、51もある逸話のほとんどに、棟方志功の版画や
挿し絵作品が使われているんだ。
どれも志功がこの本のために彫り描きおろしたもので、それがまた
何ともいえない風合いを与えているのも見逃せないところ・・・

どの話にも味があるので全部紹介させてもらいたいところだけど、
そうもいかないので一つだけ・・・
中に「山水教室」という逸話があり、これには思わず目頭が熱くなるくらい感動した。
当時の子供たちが、山や川に出かけ、小川や池や築山を作ったりして遊ぶ様を
描いているくだりなんだけどね。

以下、長くなりますが本文よりの抜粋です。ぜひお読みください。
(発行元の方、すみません。ここもせひ読んでもらいたいところなので。)

子供達は忙しい忙しい、ああもし度いかうもし度いと、一度に押し寄せる
やり度いことに夢中になる。そしてありたけのし度い事を、もうこれ以上には
出来ないと思はれる迄の形を、ここで組み立てさせられた。
 子供達はここで初めてほんとうの水を見た様な思ひがした。海の水や川の
水とちがつて、ここの水はずつときれいで、生きていた。動いていた、
光つていた、ものを言つていた。
そしてありとあらゆる物の本質---連続する変化の形態を、ここは子供達に
見させた。そしてこれがまぎれもない水の気質であり、体温であるとでも
思はれるものをぢかに彼等のからだに書き込まれた。
ここは又木や草や石や砂は、見るだけでは済まされない所であった。
手にとって見、それを色々と扱ふといふ事は、子供達には気付かれなかつたが、
彼等を物の奥に連れ込まないではおかなかつた。
 然しここには、教へてくれる者も、尋ねる者もいるわけではなかつた。
いわんや号令をかける者なんか、勿論いる筈はなかつた。子供達は只
自分達の中にいる、自分達さえ知らない者の指図に従つただけであつた。
(中略)
何者にも邪魔されない自分の勝手を、これ程迄に許されるとは、
何といふここは場所であつたのであらう。
こさへてはこはし、こさへてはこはし、終わりのない形からの透引---
子供達は何も彼も忘れて、飽く事なく水や石や木や草に、自分達を
置き代へられて遊びきらされた。
そしてこんな石や木や水の組合はせが、どういふ意味を持つかといふ事を、
おぼろ気ながらも自分自身に、教へないではおかなかつた。
 後年彼等が見た、色々な暮しの中の物の組合はせの秘密---気が付いてみれば、
この時既に、彼等の手中にはそれは握られていたのに違ひなかつた。
ここは年頃が来ると、必ずといつていい程、子供達を次々呼び寄せた。
そして何年かたつて見せるだけのものを見せ、出させるだけのものを出させると、
再び彼等を呼ぼうとはしなかつた。


以上ですが、最後のくだり・・・「見せるだけのものを見せ、出させる
だけのものを出させると、再び彼等を呼ぼうとはしなかつた。」
これこそ、教育者はもとより人としての理想の姿なんじゃないかって思ったよ。
海のような人、山のような人がいたら、素敵だね。
何かを押し付けもせず、感謝しろとも言わず、それでいて、当たり前のように
そばに居て、望めばいつでも受け入れてくれるような、深くて大きな存在・・・
職業や地位なんて関係ない、そういう人こそ、本当の意味での大物なんじゃないかな。
まぁそんな人はなかなか居ないけどね、河井 寛次郎さんの本を読んで、
自分もほど遠いながら、ちょっとでも山や水のような存在に近づきたい、
などとと思いました。


●河井 寛次郎(かわい かんじろう)略歴(Wikipediaより抜粋)

1890年(明治23年)8月24日生まれ 、1966年(昭和41年)11月18日)没は、
日本の陶芸家。
陶芸のほか、彫刻、デザイン、書、詩、詞、随筆などの分野でも優れた
作品を残している。
若くして、華麗な作風で一世を風靡したが、「朝鮮民族美術展」を展観し、
無名の陶工の作り出す簡素で美しい作品に感銘を受ける。
“自分の作品は衣装であり化粧であり、中身の体はどうしたのか、
心がけはどうしたのか”と、自らの作品制作を中断する。
1929年に長い沈黙を破って開いた高島屋の個展では、古典から
日用の器へと路線を変更した。寛次郎は各地を訪れ、手仕事の
制作現場や、日本や朝鮮やイギリスの器から受けた影響をもとに、
実用的で簡素な造形に釉薬の技術を生かし、美しい発色の器を
次々と生み出して再び注目を浴びた。この時期以降、寛次郎は
作家としての銘を作品に入れないようになる。
1937年「鉄辰砂草花図壷」がパリ万国博覧会でグランプリを受賞。
1955年文化勲章を辞退する。人間国宝、芸術院会員などへの推挙もあったが、
同様に辞退。
1957年「白地草花絵扁壷」が、ミラノ・トリエンナーレ国際工芸展
グランプリを受賞するも、無位無冠の陶工とし晩年まで創作活動を行い
1966年に76歳で没した。

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