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SOGEN
1961年、新潟県十日町市生まれ。公立中学英語教師を経て、30歳で書芸家に転身。...

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アトランタへ

2010年09月23日 2:49

10月7日より開催予定の「SPIRITED CALLIGRAPHY展」に参加のため、
アトランタに参ります。
これは、ジョージア州立大学のお招きによるものです。
展覧会、シンポジウム、ワークショップなどが催され、オープニングイ
ベントでは、着物を着たモデルに書くパフォーマンスなども行う予定です。

展覧会は、日本、アメリカ、韓国、中国の選抜作家によるもので、
他国の作家の人たちが、どのような作品を見せてくれるのかが楽しみです。

ワークショップでは、アメリカの学生たちを中心とした参加者みんなで、
らくがきなどもする予定で、それもまた、今からとても楽しみにしています。
その模様は、またブこのログでも紹介させていただきますので、どうぞお楽しみに・・・

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『第一回・書芸塾ARC』作品展に向けて

2010年09月15日 17:21

11月下旬から開催予定の『第一回・書芸塾ARC』作品展に向けて、
いま塾生たちが着々と準備を進めているところです。
今日は、今回の書芸展のテーマであり、案内DMにも使用する
「響生」という書を皆で書き表しました。
一筆ずつ交代で書いたり、皆で一度に寄ってたかって書いたりと、
色々な試みをしました。
そして、出来上がったたのが以下の3作品です。
なんじゃこりゃ!って感じかもしれませんが、
皆の心の響き合いがよく表れているように思います。
何点か、会場にも展示する予定ですので、ぜひ見に来てくださいね。
詳細はこのブログでまたあらためてご案内しますので、
どうぞよろしくお願いします。

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以下は、皆で書いたコースター作品の一部です。
会場となるお店で使っていただく予定ですので、
どうぞ合わせておたのしみに♪

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領土問題の微妙

2010年09月10日 12:45

先月の新聞で、「沖縄は中国の領土だ」との主張が、中国で、
歴史学者を筆頭に噴出していると報じられた。
日本人からすれば、なにをバカな!と、憤りを覚えるような話だが、
日本と韓国との間も竹島問題で揺れており、領土問題は微妙な問題だ。
こんな例えは顰蹙を買うかもしれないが、ちょっと子どものケンカにも
似ているように思う。
「このおもちゃは、僕が○○クンからもらったものだ。」
「いや、そのあとで、○○クンは、やっぱり俺にやるよ、って言ったから、俺んのだ。」
でも、その○○クンは死んじゃっていないから、確かめることができない・・・
(領土がおもちゃだと言っているわけではないので、誤解しないでほしい。)

今では考えられないことかもしれないが、高校時代、Iという日本史の先生が、
授業中、「満州は日本の領土だ。」と言ったので、驚いたことがある。
意見があったらいいなさいと言うので、手をあげて、
「それはちょっとおかしいんじゃないですか?」と尋ねたところ、
あとで研究室に来いという。てっきり、怒られるのかと思ったら、
これを読めば分かるはずだと、色々と本を紹介してくださった。
I先生は、東大で三島由紀夫と同期、三島が主席で、I先生が次席、
5ヶ国語に通じていて、ふだんから本を山のように読んでいる勉強家だ。
なんでも、若い頃の夢が「満州に総督となって行くこと」だったそうだ。
当時、私は、そんなI先生のことが決して嫌いではなく、むしろ、
おもしろい先生だと思っていた。
結局、紹介していただいた本は、読まずじまいだったが。

少し余談が長くなったが、ここで思うのは、国家間の領土問題というのは微妙で、
歴史認識の違いで、考え方もまったく変わってくるのだということ。
また、どこまで歴史をさかのぼって考えればいいのかも問題だ。
それこそ、人類の発生までさかのぼれば、国も無いだろうし、
文明の発祥した時点から考えたとしても、国境は時代によって移り変わっている。
歴史学者が領土を問題にするのは、そこまで考えた上でのことだろうが。

私はそんなに歴史のことも知らないし、領土に対するきちんとした認識を
持ち合わているわけでもない。
ただ、思うのは、「国のために領土を守る」あるいは「自国の繁栄のために、
領土を増やす」といった大義名分のもとに、歴史上、どれだけ多くの
国民の血が流され、今も流され続けているのだろうか、ということ。
ときの権力者はいつの時代でも、「国のため、国民のため」と言いながら、
自己の主張や権力を正当化しつつ、多くの人々の命を犠牲にしてゆく。

歴史認識の違いによる領土争いはこれからも続いていくだろうが、
そのために、多くの人々の命がフイになるようなことは、人間が叡智をもって、
避けていかなくてはならないと思う。

SOGENことなか!


アート作品から

2010年09月09日 12:39

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                                    作品タイトル:無題
                                    制作年:2010.7月
                                    制作者:SOGEN

コマーシャルカリグラフィーの仕事

2010年09月08日 9:29

最近手がけたコマーシャルカリグラフィーの仕事から一つ・・・
写真プリンターの雑誌広告。
「実感。プロセレクション。」という書を書かせていただいています。

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将棋と囲碁と書

2010年09月07日 10:25

昔、将棋にはまり、一時、千駄ヶ谷にある日本将棋連盟会館に通いつめた
ことがありました。棋力はアマの3段くらい。
羽生善治名人は「将棋は芸術だ」と言いましたが、その通りだと思います。
スーパーコンピューターでも計算が追いつかない指し手の宇宙を、
直感で読み解いていくのですから・・・
書も、直感を通して、無限の紙面に無限の宇宙を生み出していく芸術です。
そんなこともあって、将棋と書は近いものだと、ずっと思っていました。
一手間違えると形勢が逆転するところも似ています。
書も一筆一筆が勝負で、気の抜けたような線が一本でもあるといけない・・・
これまで自分は、「書はあそびだ」と言いながらも、そんな緊張感の中で
作品を書いていたように思います。

ところが最近、作品を書くときの心境が大きく変わったのを感じています。
一筆も失敗は許されない、といった緊張感から解放されて、筆や墨によって
織り成される紙面の宇宙にあそぶなら、そこに失敗は無い・・・
私は囲碁はよく知らないのですが、もしかしたら、これは、将棋を指すような
書きぶりから、囲碁を打つような書きぶりに変わってきたのではないかと・・・
囲碁は、陣地の取り合いなので、ここで負けても向こうで取り返す、
ということができます。
そういった意味で、一手間違ったらもうお仕舞い、という世界観から、
トータルで勝てばよい、という世界観へと変わった・・・
もちろん、芸術は相手のいる勝負ごとではありませんから、誰の目にも
はっきりと分かるような勝負がつくわけではありません。
そうと知ったうえで、あえて言うならば、芸術家にとっての勝ちとは、
生命力のある作品、宇宙に繋がるような、広く深い作品が生まれたとき、
ということになるのだろうと思います。

「挨拶」の意味

2010年09月06日 9:18

「挨拶」・あいさつ

漢字の「挨」も「拶」も、「ぎりぎりに近寄って身を寄せる」といった意味で、
この二つの字を組み合わせたものが、日本語の「挨拶」です。
「身を寄せる」には、「心を寄せる」という意味もあるように思います。


日本人は、海外の人から、とても礼儀正しい民族であると思われているようです。
たしかに、公の場や初対面の場、自分が見知っている人に出会ったときなどは、
ちゃんと挨拶もして、礼儀正しく振舞ったりしますが、一方で、見ず知らずの
人に対しては、どうでしょうか。

これはアメリjカに行ったときに感じたことですが、アメリカ人は、公共の場で、
見知らぬ人に対しても、よく挨拶をします。
バスの乗り降りのとき、道を開けてほしいときなど、、‘Good morning.‘
‘Thank you.‘‘Excuse me‘などと、互いに気軽に声をかけあいます。
これは、アメリカという国が、他民族国家である、ということもあるように思います。
人それぞれ、民族や宗教、ものの考え方などに違いはあっても、
まず人間として相手の存在を認める、という姿勢が基本にある・・・
そう考えると、挨拶とは、人間同士の最低限の礼儀である、
と言えるのかもしれません。

「挨拶」というと、何か形式的なことのように思いがちです。
でも、単なる形式ではなく、お互いが人間として認め合うための術であり、
人それぞれ、さまざまな違いや好き嫌いを超えて、少しでも心を寄せて
いこうとする姿勢の表れ・・・それが「挨拶」なのではないかと思います。

「自分を超える」ということ

2010年09月03日 9:18

母校の中学校の陸上部の顧問の先生から、生徒が走り高跳びで
全国大会に出るので、「自分を超えろ!」と書いてほしいと頼まれた。
大会の前日に書いた書をお渡ししたところ、その甲斐あってか、
その女子生徒は自己新記録を出して、全国2位になった。
これはスポーツの話。

では芸術において、「自分を超える」とはどういうことなのだろうか。
今日、書の作品を書いていて、ふと思ったことがある。
自分の思い通りに、上手く、気持ちよく書けた作品というのは、
あとから見ると、案外つまらなかったりする。
そうではなくて、どうも上手くいかない、悪戦苦闘して、自分でも
わけがわからないうちに書いたような作品のほうが、何か魅力を
秘めていたりする。
あとから考えてみても、どうしてこんなものを書いたのか、わからない。
そういった作品は、自分らしい作品というよりも、まるで自分でない
存在が生み出したもののように見える。

技を使って上手く書こうとするよりも、そんなものを捨て去って、
自分の魂そのものをぶつけていったときに、自分という一個人を超えて、
作品に光が、いのちの輝きが宿る・・・
そのときが、芸術において、まさに自分を超えた瞬間なのかもしれない。


SOGENことなか!

真の師とは

2010年09月01日 9:14

今月の金玉言: 


真の師とは、相手に欠けているものを教え補う者ではなく、

相手がすでに持っていながら気づかずにいるお宝を感じ取り、

いざない導く者なり


SOGENことなか!

書と音楽

書は音楽だ!

・・・ということで、先日、SOGEN書芸塾では、みんなで持ち寄った
さまざまなジャンルの音楽を聴きながら、書表現しました。
クラッシック、ジャズ、童謡、環境音楽等・・・
音楽と同様、生き生きとした、さまざまな作品が生まれました。
使用する筆も、草筆や指筆など、それぞれが工夫していた点も、よかったと思います。


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